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Intervew-01 (インタビュ−01) : Contents


問:質問者-(梨本)

2003.9.8 読売新聞 北陸版に「北前屋」が紹介されました。あの短い記事を読んで、一度お話を聞かせて欲しいと思っていました。
ところがあることから、私の友人がKAZUさんを知っていると聞いて、さっそくコンタクトをとってもらい、このような機会ができました。さっそくですが、質問を用意してきましたので、お話をお聞かせ下さい。


答:返答者-(KAZU)

はい、よろしいですよ。私達の話でよろしければ、なんなりと聞いてください。実は、こちら側から皆さんがたのような活動グル−プに、私達のことをPRする時期が来たようだから、そろそろ行動を開始しようかと考えていたところでした。
ですから、このインタビユ−の内容を北前屋でも紹介するということで了解して下さい。ただし、名前はふせるということにしましょう。あなたの名前は芸能レポ−タ−の梨本ということにしましょう。それでいいですね。



問1:梨本

はい、承知しました。
大きく分けて、三項目の質問を用意しました。一つ目は北前屋のあらまし、二つ目にサイトに関する技術的なこと、三つ目にサイトのネライと将来的なことです。

最初に、北前屋のあらましをお聞きしたいと思います。北前船を題材にどうして取り上げたのですか?


答:KAZU

一番最初から、説明のしずらい質問ですね。その答えはこのインタビュ−の終わりがけにもう一度答えたいと思います。ここでは、北前船の経営活動の仕組みを私たちは見習わなくてはいけない、と感じたからとお答えしておきます。

北前船(きたまえぶね)というのは船をさすことばではないのです。あくまで商業形態をさすことばで、船の名称は千石船とか弁財船といいます。この経営の仕組みとやり方を知り、それに影響を受けて、私たちが変わるヒントを探そうとしたかったからです。



問2:梨本
なるほど、商売のヒントがそこにあるわけですね。
では次に、どうして日本海という範囲にしぼっているのでしょうか?日本全国を対象にしてもいいのではないですか?


答:KAZU

ご存知のように北前船のバックグラウンドは日本海です。春に大阪をたち瀬戸内海を通って日本海に出て、各地の産物を積んで北海道の松前まで行きます。そこで積荷を売り払い、代わりに北海道の産物の昆布やニシンを一杯積んで再び復路へと向かう。途中でその積荷を売りさばき、巨額の富を得たわけです。そして、台風がやってくる前に大阪に帰ってきて、次の年も同じように出かけて行った。

北前船は大阪と蝦夷(エゾ)を結んで、日本海沿岸地域の経済の活性化をうながしました。どこにも頼らず自らの力で発展し、地方の経済を支えていたんですよね。その歴史のスト−リ−をくずすわけにはいきません。



問3:梨本
はい、次の質問をお願いします。三人でサイトを運営しておられますが、三人はどういう関係なのですか?

答:KAZU

三人とも似たような年齢です。そして、10〜15年のあいだ商工会議所のある団体で活動していた者どうしで、気心知れた仲間です。販売と渉外とサイト担当という具合に役割分担を決めて現在やっています。

三人とも小規模企業の代表者で、日頃から現在のやり方、考え方を少しでも良い方向にもって行きたいと、前向きに考えている者どうしなんです。



問4:梨本
なるほど、ではどうしてホ−ムペ−ジを立ち上げようという発想になったのでしょうか?

答:KAZU
インタ−ネットという今までになかったツ−ルが出てきたため、何か新しい風を吹き込みたいと思っていたんですね。驚いたことになんとこの三人、2000年にすでに独自ドメインを持っていました。タグという言葉も知らない、ましてホ−ム−ペ−ジ作成なんて出来ないのにですよ。

ホ−ムペ−ジを持たなければ、独自ドメインなんてなんにの役にも立ちません。そこで三人、どうする?どうしたらいい?と話し合いを持ちます。その結果が「北前屋」なんです。最近流行語のコラボレ−ションです。三人寄れば何かなるだろうという曖昧な発想もありましたよ。

協同でサイトを立ち上げて、その経験とノウハウがあれば、各々のホ−ムペ−ジも充実してくるだろう、というしたたかな考えもあったと思います。すでに5年前に、ホ−ムペ−ジは商売をしていく上で、必要にになるからその準備をしておきたいという気持ちがあったからからでしょう。

北前屋は2003年の2月にネットワ−クソル−ションズでドメイン登録して、5月にホ−ムペ−ジを立ち上げました。それから、今年の2月に内容を見直してマイナ−チェンジして、これからドンドン前に進もうとしているところなんです。


       
問5:梨本
なかなか共同作業というのは難しい面があると思いますが、その点はいかがですか?

答:KAZU

そうですね、親しい間がらでも共同で物事を行なう場合、難しい点がでてきます。自分ばっかり、あの人ばっかり、という風に考えてしまうんですね。でも、インタ−ネットで処理できる部分はクリアされます。

例えば、商品の注文が入った時、販売担当にだけ注文メ−ルが届いて他の担当者に連絡が入らなかったら、ブラックボックスの部分が出来てしまいます。そうなると変な憶測をしてしまい、不平不満が出てきます。サイトに関しての動きは全部オ−プンにして、各自が完全に把握できる仕組みになっていますから、そういう面は心配いりません。

それ以外の問題は、その都度話し合いで解決していく行くしかないでしょう 。そもそも、WEBはクモの巣とか、網状組織という意味ですね。つまりネットワ−クと同じことばです。そこに発信する側も、小規模企業がお互いに手を結んでネットワ−クを作るというWEB型組織でないと出来ない。

一人でインタ−ネットショップを行なうと、一人の技量の範囲内しか期待できない。でも得意分野を持ったものどうしが集まれば、違った展開が期待されます。現在の急成長企業の特徴は、自分の能力に限界が生じたら、その分野に優れた他社と組んで補っていくのが主流です。それと同じです。

いっしょにやる事が好かないとか、気持ちが悪いとか思っている人は、コラボレ−トサイトでは無理だと思います。難しい面もあるけれど、それを乗り越えてでもやろうと、考えている人の集まりでないとダメだと思います。



       
問6:梨本

ドメイン名がkitamaeya.netで、サイトの名称が「北前屋」ですが、どうしてこの名称になったのかお聞かせ下さい


答:KAZU
もちろん北前船を意識した「北前屋」ですから、それ以外の名称はいけません。越中屋とか北陸屋とかhayabusaとかumikazeとかは焦点がハッキリとしませんから、最初から考えていませんでした。「北前船」となると、北前船を研究するサイトに思われてしまいます。「屋」を付ければ商いをするサイトを連想しますから北前屋としたわけです。

ドメインに関してですが、kitamae-yaのように途中に「
-」は入れたくありませんでした。最初、kitamaeya.comを考えましたが、これは北海道の人が所持していましたのであきらめました。(でも、現在はスタッフの一人が登録していますが) 当時、サッカ−の中田英寿がnakata.netをオ−プンした時期だったので、なんの抵抗もなく.netにしました。私たち自身もネットを結ぶ目的もあったのでkitamaeya.netにしたわけです。


       
問7:梨本

では一項目の最後の質問です。「北前屋」のこだわりについてお聞かせ下さい


答:KAZU
yahooや楽天に登録すれば、何の苦労もなく出店できたでしょう。でもそれだと、商品を売るだけのサイトになってしまいます。こだわるなら自分で最初から積み重ねていかないと、思うと通りのサイトにならないと判断しました。 こだわりをとても大事にしたいと考えています。サイトを立ち上げる前に、一番最初に、そのこだわりの想いを短い文章にしました。

私達が住むこの郷土にかって自らの力で発展し栄えて、
地方の経済とパイオニア精神を育てた北前船が行き来
していました。

絶対である自然の海を相手に日本海の風をき然と受け
とめて、へさきに立つ姿を想像すると熱くなります。

私達はこのパワ−を受けつぎ、自分達なりのスタイルで、
形を変えてですが行動を開始したいと思います。

福井県河野村に「北前船主の館 右近家」、石川県加賀市橋立町に「北前船の里資料館」があります。実際に三人でそこを訪れてみて、やってみようと決心する気になったわけです。

       
問:梨本

はい、大変ていねいにご返答してもらいありがとうごあいました。皆さんの想いがよく伝わってきました。これで一項目の質問は終わることにして、二項目の質問に移りたいと思います。

こだわるなら自分で最初から積み重ねていかないと、思うと通りのサイトにならないとおっしゃいました。サイト作りの技術的なことについてお聞きします。


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